

当社は創業1967年、今年で42年目になる会社です。
私の祖父が西宮北口で小さな酒屋を営んでおり、父が高校卒業後にあとを継ぎました。
父は酒屋が働けど働けど儲からない事に悩んでいて、大阪の居酒屋に行った時に「居酒屋は自分で値段を決める事ができるから良いな」と思い、その事がキッカケで居酒屋を始める決意をしたそうです。祖父は猛反対だったそうですが、それを押し切り酒屋の駐車場をお店にして始めたそうです。西宮北口で居酒屋1号店だったらしく、当時、労働者でいっぱいのお店で大繁盛したそうです。

現在は阪急西宮北口を中心に居酒屋・焼鳥屋・お好み焼き屋・アイリッシュPUBなど8店舗を展開、営業しています。お客様は主に地域住民のファミリー層と梅田・三宮間のサラリーマン・学生です。西宮北口を中心に4業態を展開している事でお客様の様々な利用目的に応じてお店を選んで頂ける事が我が社の強みと考えています。
何度も来店してくださるお客様があっての42年間だと実感しています。
当社スタッフはお客さまが来店される時のストーリーを大切にし、状況に合わせて対応する事を心掛け、冷凍食品は出来るだけ使用せずに四季の食材を丁寧に調理し、手作り料理にこだわりをもっています。
スタッフを支持してくださるお客様が多いのも我が社の強みです。
西宮北口は開発地域に指定され、芸術文化ホールやコナミスポーツができ、昨年11月には西宮球場後に西宮ガーデンズという大型ショッピングモールもできました。昨今、注目を浴びる地域になっています。西宮北口が梅田・三宮に並んで活気のある地域になって欲しいと思います。小さな商業地域ですが梅田・三宮以上に活性する地域を目指して、我が社も西宮北口をホームグラウンドとする飲食グループとして地域に貢献していきたいと強く考えています。
私は幼い頃から夏休みにはお店に入り、手伝ってはお小遣いを稼いでいました。
幼稚園・小学校の時にはハッピを着て入口前に立ち「いらっしゃいませ係」をしてお客様に可愛がって頂き、中学・高校になると皿洗い・接客をしてお店の雰囲気を感じながら仕事をしていました。
16歳の時に阪神淡路大震災に遭い、その時の体験が本気で会社を継ごうと思ったキッカケです。
地震後に外が明るくなるのを待って外に出た時、父が周りの様子を見てお店が倒れているだろうと察し、薄暗い、寒い夜明けに家族会議が始まりました。そこで父が言ったのは「お店が倒れていると思う!
倒れていたら今までの様な生活は出来なくなるから、覚悟をして欲しい。お父さんは何をしてでもお前達にご飯を食べさせて行くから、今まで幸せに暮らせた事は良い夢を見たと思ってくれないか」という言葉でした。
母は「ほんまやね、幸せいっぱいやったもんね、家族が全員無事やったんやからラッキーやね」と言い、その後に「けん、お店を見て来てくれ!」と父から言われ、私は自転車に乗ってお店を見に行きました。
家に帰ってくると各店舗の社員さん達が家に集合しており、お店の無事を父に報告していました。

その時の大人達の背中、必死な顔、夜明けの風景、大人の会話・・・・
心がざわざわした感覚を、今でもハッキリと覚えています。
地震発生から3日目。社員さん達の自宅も大変だったなかで、1軒のお店を再開する事になりました。
電気だけは通ってましたがガスも水も出ていないため、調理はカセットコンロ、水は私と叔父とで山から運んでくると言う状況での再開でした。水担当の私は車に20リットルのポリタンク10本を積み、1日に何回も往復し体力的に大変でしたが、地震で張り詰めた空気の世の中で、お店で食事されているお客様は「笑顔」になっていました。その笑顔と、社員さん達のカッコイイ姿が今でも目に焼き付いています。
父は今でも『会社は一度あの時になくなっている。あの時の事を一生忘れたらアカンで』と私に言います。
その後2001年に大学を卒業し、直ぐに入社しました。
会社に入った時の印象は、正直なところあまり良いものではありませんでした。
社員は活気がなく、不満いっぱいの雰囲気が漂っていました。そんな状況でも経営そのものは順調でしたが、働く環境としては我慢ができませんでした。二代目と言う事もあり軽いイジメのようなものもありましたが、それに動じる事なく社員さんと喧嘩をし、父ともトコトン話合い、時間を掛けて雰囲気改善に努めました。
1年、また1年と過ぎていくと辞めて行く社員もいましたが、分かってくれる社員も増えていきました。
入社して3年目の頃、2003年に新店をオープンする事になり、父から『お前にすべてを任せたからやってみろ』と言われ一からすべての準備をさせてもらいました。コンセプトを考え、銀行や工務店と話をし、25歳で新規出店という凄い経験をさせてもらいました。様々なプレッシャーのなか、毎日泣きながらの準備は苦しく辛いものでしたが、本当の辛さはOPENしてからでした!
私が予想していた様には、お客さまに来店してもらえなかったのです。ようやく目標売上に到達したのは、OPENしてから半年後でした。その時の試行錯誤した経験は今に生きています。
翌年2004年に居酒屋を新規で1店、2005年にはアイリッシュPUBをこちらも新規でOPENしました。
新店をOPENさせる度にクタクタになり体重は落ちるし、精神的にも苦しかったのですが、凄い経験をさせてもらった事で大きく成長できた様に思います。今もまた新店OPENと言う目標を社員と共有して取り組んでいます。そのお店では特別な価値のある発見があるのではと、今から凄く楽しみにしています。

2007年1月に、父から事業承継の話をされました。話があるからと呼ばれ、行ってみると父が険しい顔で椅子に座っていました。私も椅子に座り話を聞き始めたら「社長をお前に譲る」と言う話になりました。
話を聞いている内に体が熱くなったのを覚えています。
2007年5月から新役員で新たなスタートが始まる事になり、それまでに新しい専務・常務を人選する事になりました。そこで社員の中から専務と常務を選出しました。人選は迷う事なく決まり、二人に話をした時に二人はビックリしていましたが、よく考えた後に力強く「やってみます」と言ってくれました。私と二人は普段からいつも問題を解決する仲間になっていたので、心強いメンバーで新しいスタートを切る事ができました。5月になって新体制でスタートする事になり、新役員でこれからどんな会社にして行きたいのかを時間を掛けて話をしました。
まずやるべき事は社員全員でもっと一丸になる事、その為に皆と話をする時間を作ろう、そして社員が一丸となれた時はアルバイトとも一丸となろう、それが出来ればお客様にもっと良いサービスを提供できる。普通の飲食グループにはしたくない、超飲食グループを目指そうと言うビジョンを掲げました。
そこで月・火・水・木曜と週4回・月16回のミーティングをする事になり、社員・アルバイトと様々な企画の中で話合いをして、色々な事に取り組みました。取り組んだ結果は大きな成果に繋がっています。
これまでの取り組みをして思う事は、たくさん話をしているにも関わらず、やるべき事があり過ぎてまだまだ時間が足りないと言う事です。これからも一日一日を大切にスタッフが一丸となり、超飲食グループを目指し続けます。
私の好きな言葉は「気づき」です。何をするにしても「気づき」から始まると思います。
「気づき」は素直な心でいなければ感じられない事であり、「気づき」は凄くラッキーな事だと思っています。
たくさんの「気づき」を会社経営に活かして行きたいと思います。
昨年のサブプライムローン問題から景気が凄いスピードで変化して大変な世の中になっていますが、そのような状況でお客様が夢を語る場、明日への活力を蓄積する場としてお役に立てる事を事業の目的、そして意義とします。
その目的を全うする為に経営理念を大切にして行きます。
- 〜料理に対する姿勢
- 四季の食材を手間暇惜しまず、手作りにこだわり、安心・安全な料理を提供します。
- 〜お客様に対する姿勢
- 夢を語る場、明日への活力を蓄積する場として全スタッフが元気を提供します。
- 〜スタッフに対する姿勢
- 全員が力を合わせて、一人一人が夢に向かって成長できる環境を実現します。
- 〜地域に対する姿勢
- 地域のイベントに積極的に参加し、地域の活性化に努めます。
- 〜我が社に関わるすべての人に対する姿勢
- 信頼を裏切らない、良き縁になる事を約束します。







